勝屋の銘酒が生まれる処
創業以来質素を旨とし、日本古来の神への崇愛深く、地域に根付き、地域に育てられた勝屋酒造。
9代にわたり継承してきた技と心は、この「宗像の地」なくしては語れません。
勝屋酒造
勝屋酒造は、福岡県宗像市、標高369メートルの城山山麓の地にあります。寛政2年(1790年)初代山本善市は、勝屋を名乗り、年貢米による酒造りを始めました。
4代目当主山本弥五郎の明治6年頃に『筑前竹槍一揆』の際に暴徒が乱入し、酒蔵が打ち壊しの対象となり休造のやむなきに至るなど数々の危機もありました。
しかし、代々宗像大社への信仰篤く、その甲斐あって現在の安定した酒造りが続けられるようになりました。
酒名の『楢の露』は、宗像大社のご神木『楢の木』より頂いたもので、建立した永代献酒の誓碑は、今でも楢の木の傍に現存し、歴史を物語っています。
蔵人数名の小さな蔵ですが、ミネラル豊かな城山伏流水を使い、品質本位の酒造りに励んでいます。 全国鑑評会入賞をはじめ、品評会入賞歴も多数あります。
また、2015年主屋と煙突が国の有形文化財に登録されました。
酒造り
手造りだからこそできることがある。
小さな蔵なのでほとんど人間の手作業で仕込みを行っています。温かい日、寒い日、冬場でも毎日条件は変わります。
蔵人は微生物の声に耳を傾け状況を全身で感じながら、目標に向け努力を積み重ねていきます。
酒造り期間中は蔵の中に緊張感がみなぎります。
宗像大社
宗像大社は天照大神の三柱の御子神(沖ノ島の沖津宮には田心姫神、大島の中津宮には湍津姫神、田島の辺津宮には市杵島姫神)をお祀りしています。
この三宮を総称して宗像大社といいます。ここ宗像の地は、中国大陸や朝鮮半島に最も近く、古代より外国との貿易や進んだ文化を受け入れる窓口として、重要な位置にありました。
特に沖津宮がお祀りされている沖ノ島は、九州と朝鮮半島とを結ぶ玄界灘のほぼ中央にあり、4世紀頃より様々な貴重な奉献品をささげて航海の安全を祈る祭祀が行われました。
島全体が信仰の場である「神宿る島」と言われ、厳に入島を制限するなど様々な禁忌により古代からの姿そのままを今に残しています。
唐津街道 赤間宿
勝屋酒造のある赤間は、「神武天皇」が東征の折に岡湊(現遠賀郡芦屋)に着かれた時、八所宮の神が赤い馬に乗って天皇を迎えたので「赤馬=赤間」と名付けられました。豊前小倉から若松、芦屋、赤間をたどり、博多、福岡から唐津へと向かう唐津街道筑前21宿のひとつです。
またこの赤間には、長崎街道の木屋瀬宿から分かれてくる道もあります。赤間は江戸時代から明治期の鉄道開通前までは宿場町として、宗像地方の物資の集積地として発展した所です。
江戸期の資料に「・・・・・町家二百軒ばかり、茶屋宿場あり・・・」などとも記されています。
藩主や長崎奉行、諸大名などが休泊する御茶屋(本陣)、家臣たちの町茶屋(脇本陣)、問屋場=荷物輸送業務の役人事務所、郡屋=郡奉行や村役人の詰所、番所、制札所=高札を掲げる所などがあり、役人たちの御茶屋奉行屋敷、下代屋敷なども置かれていました。